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(論考)言語学から人間学へ(山岡政紀研究員)


 近代科学の要素還元主義は学問の専門分化をもたらした。人間を探究する人文科学もまた、哲学、言語学、人類学、宗教学等の専門分野に分化している。各分野は人間に表れる論理、言語、文化、宗教といった個別の現象を考察対象としている。

だが、それらの諸現象の奥にある人間という一つの総合体の本質を探究しようとするならば、どの現象から入っても共通の真理に接近していくはずである。本質に迫れば迫るほど専門分化の壁を越えざるを得ず、自ずと学際的になっていく。

 私の専門は言語学である。院生時代には文の構造というミクロ視点に集中して研究していたが、コミュニケーションという人間の営みの総体から見れば文は素材に過ぎない。そのコミュニケーションの総体を探究しようとしたとき、発話を行為と見るサールの理論に啓発され、哲学の視点を知った。さらに、コミュニケーション上の対人配慮のあり方を考察したブラウン&レヴィンソンのポライトネス理論を学んでみると、人が他者との接触に際して心に抱く欲求をフェイスと名づける社会学・心理学の視点を同時に学ぶこととなった。人間を探究すればするほど、専門領域を越境して学際的性質を帯びてくる。というより、結局は一つの人間学の方向に向かっているような気がする。

 社会学者ゴフマンが提唱したフェイスの最も原初的な素性は「聖性」であった。人間は誰もが本源的に宗教性を帯びている。自己の聖性と他者の聖性との接触から対人関係上の欲求フェイスは生まれる。このフェイス理論を私は脳死臓器移植問題の考察にも応用してみた(「生命への配慮とはどういうことか」二〇一八)。人間存在の中核には、誰もが本源的に有する自己と他者の絶対的価値がある。心理学者ドナ・ヒックスはそれをディグニティ(尊厳)と呼び、国際紛争解決のための「尊厳モデル」として提唱している(二〇一一)。

創立者池田大作先生は創価大学草創期の講演などで、生命の尊厳を普遍的な価値基準とした人間学の探究をたびたび呼びかけられている。その重要性に改めて気づかされるこの頃である。

 

 

※『東洋学術研究』第59巻第2号273頁「研究覚え書き」公益財団法人東洋哲学研究所に掲載された内容を著者承諾の上、掲載しています。

 


2021/1/19掲載

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